外国人に話しかける時って「Hello. Excuse, me」ですよね。
白人でも黒人でも、英語で話しかけます。
明らかに、英語圏じゃない中東系や東南アジア系の人たちにも英語で話しかけます。
これは、逆に外国人から日本人に話しかける際にも使われて
海外でホテルのチェックインの時、間違いなく英語で話しかけられます。
日本国内でさえ、外国人観光客のお手伝い何かをして最後には「Thank you」って言われる事があります。
もちろん、ベトナム語とかアラビア語とか全然分かんないので英語で話してくれると理解出来るので便利なんですけどね。
空港の案内看板の下に英語が書いていなければ、もう何のこっちゃか分かりません。
コミュニケーション
事実上、国際共通語は英語になっているわけですが、なんかズルいですよね。
アメリカ人・イギリス人って産まれてから特に何の勉強もせずに手に入れた言葉が世界中で話されてるわけで、どこに行っても母語が通じる訳です。
体験談ですが、日本であろうと海外であろうとゲストハウスに泊まって、リビングルームで外国人の人と話そうとすると、間違いなく英語です。
韓国で泊まった時に、外国人たちが集まって話していたので混ざりたかったけど、英語がそこまで上手くはないので、結局一言も話すことが出来ませんでした。
これがアメリカ人なら、訳なく話に混ざっていける訳ですよ。
ヨーロッパだろうが、南アメリカだろうが、アフリカだろうが「こんにちは。どこから来たの?」って言ったら通じるみたいな事で、相当のアドバンテージがあります。
仕事
更に英語が話せるってだけで、世界中で仕事も出来ます。
国際的なビジネスの会議や交渉も大体英語。
ブログだって、日本語で書いていたら読者は日本国内だけですが、英語だったら世界中に読者を持てます。
教育に関しても、日本人にも英語の先生がたくさんいますが、英語しか話せない先生も多くいます。
勿論、何かしらの試験のようなものはあるんでしょうが、英語だけ話せればいいのだったら相当楽です。しかも、世界中で英語を教える仕事が出来ます。
考えを変える
英語を話せると良いことばっかりで、「英語が母語のとこに生まれれば楽だったなぁ」と思うことがありました。
でも、ある時、ふと見方を変えてみました。
英語は国際共通語ではなくて、英語という名前の国際共通語をアメリカ人が話していると。
例えて言えば、国際共通語としてつくられた "エスペラント語" があります。
エスペラント (Esperanto) とは、ルドヴィコ・ザメンホフとその弟子(協力者)が考案・整備した人工言語。 母語の異なる人々の間での意思伝達を目的とする、国際補助語としては最も世界的に認知され、普及の成果を収めた言語となっている。
英語はこれと同じような "つくられた国際共通語" と考えを変えてみました。
すると、これまで "ズルい" と思っていた、英語もそれほどズルでも無いんじゃないかと思うことができるようになりました。
例をあげてみると、
「母国語が世界中で使えてズルい」
これも、世界中で使えて当然なんです。
英語は国際共通語としてつくられたのだから、世界中で使えなければ意味がありません。
だから、日本人も英語という国際共通語を勉強して、便利を享受できるようにならなければならないと考える事が出来ます。
「空港の案内板の下に英語じゃなく日本語も書け」
「海外の博物館の展示品の説明に日本語も書け」etc...
たくさん英語に関しての不満は色々あると思ういますが、全て "国際共通語" として世界的に認められて、使われているのだから当たり前だ。っていう結論に落ち着きます。
この考え方にしてから、英語を勉強しなくてはいけない理由とかもスッと納得できるようになりました。
まとめ
勿論、英語はエスペラント語のようにつくられた国際共通語では無く、この考えは妄想に過ぎないですが、それでも「なんで英語がを...」っていう考えを捨てて、気持ちを軽くできるので、このままの考えでいこうと思います。
それによって逆に、世界中の人が話していることによって独自性の薄れた英語より、日本でのみ話されている日本語に対しての愛着が湧きました。
日本語が母語で英語も理解できるって言うのが、一番良いですね。
同じように英語に関して「なんで英語が...」っていう人もたくさんいると思いますので、少しでも参考になれば嬉しいです。